社内報(まごころこみゅにけーしょん)より

Founderより

●08年7月1日号

「奥の細道グルメ説」
堀冨士夫(デリカスイト代表取締役・管理栄養士)
岐阜新聞社編『味の王国ぎふ グルメガイドブック』

元禄2年長月6日(1689年10月18日)伊勢に旅立ち大垣で句をむすんだ「奥の細道」。
この46歳の翁600里は薫風ポエム開発・確立の為、蕉門開拓の旅と位置づけられている。本当に「片雲の風にさそわれて、漂白の思い」噛みしめての旅だったのか。諸説語られている。

その1. 幕閣の密命をうけて、奥州路を偵察する忍者の旅であったろう。生まれは忍者のふるさとといわれる伊賀上野。
「ふるさとや臍の緒に泣くとしの暮」

その2. 「一家に遊女もねたりと萩と月」の章に「曾良にかたれば、書きとどめ侍る」と記されているのに『曾良旅日記』にはなんの記述もないのは、寿美という恋人?をなくして後「枯れ枝に鳥のとまりたるや秋の暮れ」という心境の中、天女を求めての旅だったのでは…

そしてその3. 将軍の命を受けての、日本不二の美味おにぎり探求の旅であったのでは。
行き先は米どころ、山海の珍味を探し味わい究極のグルメを美濃大垣に見極めてむすびの地とした。微かな地酒が香る初霜米おにぎり、磯の香の伊勢のりがパリッと、具は、噛めば地溜り醤油と地酒の煮汁が出てくる肉厚な蛤の身、あまりのおいしさに感激、究極の味とし、この大垣を「むすびの地」としたそうな。そして1句「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」と。

途々

須賀川「風流の初やおくの田植うた」の項で「小豆飯に大根・牛蒡・いかなどの煮染の酒宴・蕎麦切り」。羽黒山で「蕎麦切り・茶・酒」。鶴岡で初真桑と茄子(粥に漬茄子)。金沢でも「瓜茄子の料理」。
滋賀は「破籠(わりご)の弁当、小竹筒(ささえ)」と数々の言葉が頻出してくることもその証では。はなはだ強引な解釈かな。しかし「噛みしめるほどに深い味」をもとめての旅であったのは確かなようだ。
「古池や蛙飛びこむ水の音」。翁の代表の句もなるほど、噛みしめるほどに深い味のでる句ですね